石井隆の命日(5月22日)にあわせ、命日の翌日の5月23日に、特集上映の【先行上映イベント】が開催されました。93年に劇場公開され、今なお多くのファンから根強く支持されている、石井隆監督の代表作の1本『ヌードの夜』のHDリマスター版の上映と共に、『ヌードの夜』の主演であり、石井監督作品に最も多く出演している盟友・竹中直人と、石井隆ファンを公言しているライムスター宇多丸によるトークショーも実施。当時の撮影当初のエピソードから、石井監督の人柄や魅力などを語っていただきました。
『天使のはらわた 赤い眩暈』『死んでもいい』『GONIN』『甘い鞭』で知られる映画監督・石井隆の没後3年に合わせた特集上映『石井隆 Returns』が、6月6日より開催される。
それに先んじた5月23日には命日(5月22日)に合わせて、映画『ヌードの夜 HDリマスター版』の先行上映イベントが池袋 HUMAX シネマズで実施され、主演の竹中直人、石井隆監督ファンのライムスター宇多丸がトークショーを開催した。
石井監督の長編映画監督デビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)で主演を務めて以降、石井監督作の常連俳優になった竹中。元々『天使のはらわた 赤い眩暈』の台本上のタイトルが『ヌードの夜』だったそうで、その響きを気に入った竹中が石井監督に『ヌードの夜』というタイトルで映画を撮ることを進言したのが本作のスタートになったという。
石井監督の人柄について竹中は「石井隆という人は本当に最高。役者を乗せてくれる方で、石井さんが放つエネルギーというのか、カメラ横にいる石井隆の姿が僕は大好きでした。石井さんの作家性云々ではなく、石井さんの現場にいたいという気持ちがありました。石井さんの言う『ヨーイ!』という声を聞きたくなる」と愛おしそう。撮影後にはプライベートで一緒に映画を観に行くこともあったそうで「石井監督は“どうせ俺なんて”の意識を強く持っている方で前向きではない。その意味では僕と波長があった。“僕の映画なんて誰も観ませんよ”と言う。普通だったらネガティブで嫌な気持ちになるけれど、石井さんの場合はそれが色っぽくて愛おしくなる。そんな石井さんの気持ちが好きだった」と懐かしんだ。
石井監督もそんな竹中に強いシンパシーを感じていたようで「僕がテレビでやっていたギャグがあったりすると、それをやってと。でも僕としたらそれをやったら竹中直人になるわけで。でも石井さんは『それでいいんです』と。その言葉が好きでした」と振り返り「僕自身も役だとは考えていなかった。石井さんとの映画は“役”を超えたもの。石井さんと俺との関係なんだと感じることが出来た。僕を信じてくださっているという暗黙の了解。もはや役ではない。映画を挟んで石井監督と人間との関係になれた気がする。役なんて関係なくて、石井さんが現場を見てくれてる、それがよかった」と強い絆を伺わせた。この関係性について宇多丸は「竹中さんのお話しを聞くと、お二人の人柄がシンクロしているような気がする。石井監督はシャイな竹中さんにこそ“託せる”と思ったのでは?」と羨ましそうだった。
石井監督の撮影現場でのチャーミングな姿も竹中は忘れられないという。余貴美子と海にダイブするシーンでは「凄く汚い海で猫の死骸まで浮いていて。さすがに飛び込みたくないとプロデューサーの成田尚哉さんにコソッと言ったらそれが石井さんに伝わってしまい…。『ならば撮りません!』とロケバスから出てこなかった」と苦笑い。ロケバスのドアを叩いて何度も石井監督の名前を呼んだそうで、竹中は当時の様子を再現しながら「石井さん!石井さん!あ、もしかしたら今聞いてるかも?石井さ~ん!」と天に向かって呼び掛けていた。
こだわりの強い石井監督だけに、撮影は長丁場になることも珍しくなかったそうだが、竹中は「フィルム時代はカメラの横で僕らの芝居を見ていたけれど、現場で直接モニターが見られるようになってから時間がかかるようになった。よくサブのカメラマンに『そのアングルでいいのか!?』と言っているのを思い出した。丁寧な言葉なんだけれど鋭かった」と美意識の高い石井監督の横顔を明かした。
そんな石井隆監督は、2022年5月22日に75歳で永眠。改めて竹中は『ヌードの夜』について「僕にこだわってくださったというのは、愛おしくありがたい時間でした」と感謝しながら「石井隆、何故死んだ!?と思う。もう1作撮って欲しかった。悔しくて切ない。本当にいい監督で石井隆ならではの映像があって、こんな画を撮れる人はいない。ダメだ、泣きそうになっちゃう。どうしてこんなに素敵な監督が早くいなくなるのかと思うと、生き甲斐がなくなってしまう」とウルウル。これに宇多丸は「映画の良いところは、こうして上映するたびに新しい観客が観てくれること。僕は本作を観るたびに毎回驚き、感動し、思わず泣く。素晴らしい映画です」と励ますと、竹中は「本当にそう。こんなに沢山の方が石井隆の映画を観てくれるなんて本当に感謝です。初めての皆さんに『ヌードの夜』がどのように映るのか?どのように受け止めて、どのような気持ちで夜の池袋を歩いて帰るのか。…これが新宿だったら最高でしたけどね!」と笑わせながら、特集上映『石井隆 Returns』の反響に期待を寄せていた。
途轍もなく恐ろしく(なんなら“リアルに”!)おぞましいのに、まるで昔から馴染んだ悪夢のように、なぜか繰り返しそこに戻りたくもなる……私にとって石井隆ノワールは、そんな言わば「夢幻的修羅場」に満ちた、魔の時空だ。そしてそれは言うまでもなく、劇場の暗がりに身を潜め、息を殺して、目撃すべきものなのだ。
石井隆監督が描くのは、 私たちだったかもしれない女性の物語である。
傷つき、 打ちひしがれ、悪事を犯し犯され、雨の真夜中に途方に暮れる。
『ヌードの夜』は自分がいちばん好きな石井隆作品で、いまも繰り返し観ています。これは竹中直人さんの最高傑作ではないでしょうか。余貴美子さんのはかなげな美しさもみんなに見てほしいです。そして自動車転落シーンは映画史に残るものすごい撮影です。
この映画、胸が締め付けられるような切ないラブストーリーであるとともに「○○映画」です。それは最後の瞬間にわかります。最後の最後の最後のショットに映るものに注目してください!
無邪気でシニカルで天の邪鬼で饒舌で孤独で常識的で我儘で反体制で笑顔が良くて優しくて情があって頑固で、、 女々しくて漢気があって、、本当はもっと映画を撮りたかったのに、、でも愛すべき人で、、何より僕達を楽しませて くれた石井隆とその映画は、、、今も生きている。
30代になりかける頃、仕事にフラストレーションを抱えていた私は、根津甚八さんの紹介で石井隆監督に出会い、 「天使のはらわた 赤い閃光」の出演が叶った。 それから私はしばらく、石井ワールドの沼に嵌っていった。その沼は、雨、血、夜に満ちている。もっともっと映画を 作って欲しかった。 石井隆Returnsで、新たに命を吹き込まれた過去の作品から、再び石井隆の魂を感じることができるだろう。 きっと客席の後ろの方に座っているはずだ。
好きな映画は?と聞かれる度に、私はいつも 『死んでもいい』と答えていました。 石井隆監督にしか出せない、あの世界観が たまらなく好きでした。 美しく悲しく、淫らで、それでいて純粋で。 小さな声でボソボソと言う細やかな演出も 忘れることが出来ません。 もう一度、もう一度、石井組で演技をして、 監督を「ニッ」と笑わせたかった。
淋しいな。
徹夜が続く過酷な現場で、石井監督とどちらが先に睡魔に負けるか密かに戦っていたのが、つい昨日のようです。 その反面、あの頃は若かったんだなぁーと、自分の体力と精神力を懐かしくも感じます。
10 日間ほどの撮影中はどこか興奮状態にあり、深夜何度も血糊を浴びては、監督の納得のいくまで撮り直したことを覚えています。
ギリギリの精神状態だからこそ、乗り越えられたのかもしれません。 少し恥ずかしがり屋の監督と、名美の魅力を語り合いながら挑んだこの作品は、激しい内容ではありますが、私にと って愛しい作品です。
石井隆監督作品はいつも濡れている。そして朽ちている。やるせなくはかなく残酷でかなしい。そしてなんとも言えない毒がある。決して誰もが観る映画ではない。好きな人はめちゃくちゃ好き。嫌いな人は全く嫌い…。こりゃ一体どう言う事だ…。どう言う事でもない。石井隆監督は永遠って事なんだ。
石井隆の映画とスクリーンで出逢うことは、この上ない幸運であり、哀れなほど不幸だ。降りしきる雨、濡れた夜に輝くネオン…村木と名美の物語をただの一度でも体験したら、あなたを取り巻く世界は一変する。
そして、映画で感じた“あの手触り”を永遠に求め続けてしまうだろう。
石井隆亡き、この虚しい日々に。
『死んでもいい』の風呂場のシーンを見たときは衝撃でした。
画面の湿度のあまりの高さに「あ、テレビ濡れてるわ」と
本気で勘違いして拭こうとしたくらい、衝撃でした。
石井監督の作品群に出会って、僕は梅雨が好きになりました。
同郷出身の作家の端くれとして、永遠のリスペクトを誓います。
全作がマスターピース。
石井隆の劇画を教えてくれたのは女性の先輩だった。
「天使のはらわた」のVHS をドサッと貸してくれたのも
取材で現場に行くきっかけを作ってくれたのも女性だった。
蹂躙され地獄巡りを経てときに怪物化すらする「名美」の物語に
女性たちはなぜこれほどのめりこめたのか。
ある人は「そこに私がいた」と言った。自分も見るたびにそう思っていた。
名美は決して「夢の」ではない、絶対的に「生きた」女性だったから。
そうして今も、石井隆が残した紙やフィルムのなかで、名美は依然として生きている。
名美に出会う人生と、出会わない人生があったとして。
どんなに悪夢のように息が苦しくても、痛みで涙が滲んでも、私はやっぱり、何度でも名美に出会いたい。
それはきっと、生きる喜びでもあるのだ。
石井隆監督がいなくなってもう3年とは。
現場が過酷で過酷で、本番中でも「もっと何か無いの!?何か無いの!?」と煽られて「もうイヤだ!」なんて思うのに撮影が終わって暫くすると「またあそこに行きてぇなぁ」なんて思うって事は石井隆という人は究極的に人たらしなんだと思います。
怒っている事も、嬉しい事も子供の様に表出される石井監督は寂しさだけは胸のうちに秘めていた様に思います。だから映画の中に寂しさが漂っているんだと思います。
石井隆映画の雨、歌、男と女、そして寂しさを是非映画館で観て下さい。
潔癖な現代では生まれなかったであろう
“人”という不器用な愛おしさが、
“愛”という不完全な美しさが、
“映画”という素晴らしさが、
「石井隆世界」には詰まってる。
石井さんと出会えて私は幸せ者でした。
あなたがいなかったら今の私はいない。
スクリーンで堪能したら、また、会いたくなるんだと思います。
「死んでもいい」のオープニングタイトルに脳髄を掴まれ、「ヌードの夜」のラストカットに戦慄した僕の石井隆組への初参戦現場は「天使のはらわた 赤い閃光」だった。
「夜がまた来る」のクランクアップの朝焼けは今も脳裏に鮮明に焼き付いている。
雨と血糊と汗に塗れたカチンコ叩きの記憶は僕の全身に宿り続ける財産だ。
威力ある石井隆作品に再び心を揺さぶられる映画体験が待ち遠しい。